簡単なプロフィール
はじめましてブログ運営者のさきです。

こんにちは。茨城県行方市(なめがたし)にある、湖畔沿いの古民家在住者・さきです。
生まれたところはロサンゼルスで、5歳までアメリカにいました。そのあとは神奈川県藤沢市・江ノ島で育ちます。結婚を機に茨城の地へ引越してきました。
現在は家と庭、全敷地合わせて900坪ある古民家に住んでいます。
古民家を買うとき分からないことが多く、心配性の自分には不安がいっぱいの時間でした。なので、これから古民家生活を検討したい、実際どんな暮らしぶりなの?と気になる方へ向けて実体験を元にした情報をお伝えしたく、このブログを始めました。
ちなみに「さき」を漢字で書くと「早秋」です。誕生日が9月1日生まれの早い秋なので、この名前になりました。
性格は、モーレツな心配性とロマンチストのハイブリッドです。(え。)
ニワトリ大好き幼稚園児
神奈川の幼稚園に通っていたときは、大のニワトリ好きでした。

園の裏手に山があって、そこにニワトリ小屋がありました。
自宅でもハムスター、うさぎ、金魚、熱帯魚など生き物をたくさん飼っていたため、動物に対してはなんでもメロメロな子供でした。
将来の夢は環境NGOで働くこと?
小学生になっても動物大好きなのは変わらず、飼育委員会に入りました。
休み時間や放課後を使って、ニワトリとうさぎのお世話をしました。育児放棄されたヒヨコを2羽自宅に持ち帰り、育てたことがあります。
この頃から自然環境に対する関心があり、卒業文集で「将来は環境NGOで働きたいです」と書いてあります。
なんで小学生がNGOという難しい言葉を知っていたのか(?)です。母親が英語教師だったので、そんなことを耳にしたのかもしれません。
根性を叩きこまれた部活時代
中学生のとき、ソフトテニス部に入部して、鬼キツイ練習に追われる日々を過ごし関東大会に出ました。
おまけに顧問も鬼みたいに怖かったです。大人になった今でも夢に出てきます。
「言うより行動」「努力で何とかする」みたいな体育会系の根性論はわりと嫌いじゃないんですけど、それは部活時代の鬼の訓練で染みついた精神だと思っています。
中学のときの部活が辛すぎた反動で、高校では帰宅部(え。)に入部しました。
全然関係ない話ですけど、この間ずっとセキセイインコと暮らしていました。
部活で辛いときも、暇なときも、枕元に来て「さきちゃん!」と名前を呼んでくれるペットは心のよりどころでした。
大学進学のキーワードは「環境問題」
以下の二つが重なって、大学受験のときは「環境問題を勉強したい」と感じるようになっていました。

- 小さい頃から動物と触れ合ってきたこと
- アウトドアな遊びが好きだったこと
ただ残念なことに、数学が壊滅的にできなかったんです。なので、国立と理系への道は諦めました。文系でありながら環境問題にアプローチできる大学を片っぱしから受けました。
結果、明治学院大学社会学部に入学し、「環境社会学」のゼミに入ることになりました。
環境社会学はざっくり言うと「環境と人間社会の相互関係に関する学問領域」とされています。
講義じゃ足りない外へ出よう
大学に入ったはいいものの、講義ばっかりで物足りないと感じていました。

そこで、東南アジアを中心にバックパッカーでめぐることにしました。タイ、ラオス、カンボジア、スリランカ、バリ、ベトナム、台湾、マレーシア、など多数の国を訪れました。
また、学外でのボランティア活動にも参加してみることにしました。キーワードは環境・農業あたりでした。例えば以下のような活動をしました。
- 足尾銅山でどんぐりの木植林@栃木
- 屋我地島でマングローブ植林@沖縄
- 住み込みでとちおとめ収穫&パック詰め作業@栃木
- 長期滞在で有機農業体験@茨城(→夫と初めて出会った場所)
- 合鴨米用アイガモのお世話@茨城
- ベジタリアンレストランで調理補助@神奈川
- 熱帯雨林視察@ボルネオ島
などなど。
特に今後の生き方の価値観を決定づけたのは、ボルネオ島での熱帯雨林視察でした。
大きすぎた問題
ボルネオ島での熱帯雨林視察は環境NGO主催で行われました。

学生10名程度、職員数名の参加がありました。テーマは以下でした。
- 熱帯雨林の急速な減少はなぜ起きているのか?
- 人々との関わりはどれくらいあるのか?
- 自分たちにできることは何か?
びっくりすると思うのですが、熱帯雨林伐採には世界中で消費されている「植物油脂」が関係していたんです。
植物油脂?食品表示でよく書いてあるヤツ??と思った方。それ、です。
パームオイル、パーム油、と呼ばれることもあります。お菓子や加工食品はもちろん、せっけん、化粧品、洗剤なんかにも使われている便利な油です。
ボルネオ島では、世界で消費される多量のパームオイル(植物油脂)を作るため熱帯雨林が伐採され、アブラヤシのプランテーション(大規模農園)が増え続けています。
いわゆるモノカルチャー(単一の農作物を生産する農業形態)です。そうすると、よく耳にする生物多様性の問題が出てきてしまいます。
実際視察をして感じたのは、熱帯雨林にはたくさんの生き物がいるんですが、開発された畑には一切生き物がいなくて静かなんです。
森でエメラルドブルーの鳥を見たときはうっとりしました。信じられないくらい光沢があるんですね。綺麗でした。
一説によると、世界中にいる生き物のうち半数以上が熱帯雨林に集中しているんだそうです。そんな貴重な場所が油のために消えているなんて、、、!
素直にショックでした。
目を見張るくらい綺麗な動物たちの住処がどんどん消失し、息絶えていくと思うとぞっとしました。こうやって生態系ピラミッドは崩れていくんだなと。
ただ、自然環境に配慮した方法で生産されるパームオイルもあります。
地球人口が増えている中で、成長スピードが速いアブラヤシにはポテンシャルもあるみたいです。さらに、パーム産業で稼いでいる人たちにとっては立派な仕事なわけで、ひとくちにダメとは言えないところがパームオイル問題の複雑なところです。
こうして熱帯雨林の減少と自然環境の荒廃を目の当たりにし、ショックを受け、しばらく立ち直れませんでした。
問題が大きすぎたんです。
環境負荷を減らす生き方とは
人が生きることは、環境負荷がかかることだと思います。ただ、負荷の程度は変えることができるとも思います。

熱帯雨林視察を経て、問題の大きさに悩んだすえ、「できるだけ自分の生活において環境負荷を減らす努力をしながら生きていこう」という考えに落ち着きました。
もっとも簡単にできたことは食生活を変えることでした。
加工食品をやめた、お肉をやめた、お菓子をやめた、外国産をやめた、平飼い卵に変えた、調味料を変えた、ご飯は手作りになった、地元産を増やした、お米を増やした。
こうして小さな変化を生活のなかに散りばめるようにしました。
これを極めると健康ヲタクになれるわけなんですけど(え。)、家族や友人もわたしの食生活に興味を持ってくれることが多かったです。
食生活を変えるということは、買い物の時間、調理の時間、味わう時間など、時間的余裕が必要になることでもあります。
つまり、環境負荷を減らす生き方を実践するには、「時間にゆとりがあること」が大切なのでは?と思うようになったのです。
この頃からなんとなくのんびりしたイメージが強い「田舎暮らし」に興味を持つようになります。
人間関係にうんざりした会社員時代
大学卒業後は、都市ガス会社に就職しました。
初めての社会人は新鮮なことが多くて、毎日があっという間に過ぎていきました。ただ、仕事を覚えれば覚えるほど、ある違和感も持ち始めていました。
「会社で働くと人間関係を選べない」ということです。
失礼な話ですけど、社内に意地悪な40代社員がいて、本当に苦手でした。暇を見つけてはジャニーズの話をして、ちょっとでも仕事の進め方にモノ申すと機嫌悪くなって、コソコソ悪口言われて、無駄に残業して、、、
- 人間関係ほどストレスフルなものはない
- 嫌いな人と仕事するほど苦痛なことはない
- 日系企業のネチネチした人間関係にうんざり
こんなことを悶々と考え続ける日々でした。そんなわけで、
- 面倒な人間関係から解放されたい
- 一人で稼げるようになりたい
- 自由に生きたい
- でもお金は大事
- お金の不安はどうしたら消える?
と思うようになります。自由に生きたいと願う一方で、お金に対する不安や興味がフツフツ湧いてきました。
なので、とりあえずお金について勉強してみることにしました。
具体的には金融の国家資格、ファイナンシャル・プランニング技能士試験(FP)を受験することにしました。試験はとりあえず合格し、これまで知らなかったことが学べて面白かったです。
初めての複業
それでもまだお金のことを知りたい欲が途絶えず、転職先は金融業界を選びました。
一社目と違い、外資系出身者が多い企業だったので、変な人間関係もなく、さっぱりしていて働きやすかったです。
会社ってこんなにも雰囲気が違うんだな、と驚きました。
とはいえ四六時中好きな人とニコニコ仕事ができるわけではありません。この時から「一人で稼ぐ」を少しずつ形にするため、複業を始めます。
選んだのはライティングでした。
WEBサイトやフリーペーパーの専属ライターになり、記事を書いて報酬をもらう形です。
一人でできて気楽です。本業以外で給与が振り込まれるのは、お小遣いをもらうラッキーな感覚に似ていました。
似たもの同士で結婚
数年後、結婚することになりました。夫28歳、わたし27歳でした。

夫は早い段階で起業経験がありました。性格は真逆だけど、この人と結婚したら一緒に自由な生き方を模索し続けられるかも?と感じたのが結婚の決め手でした。
夫の希望で茨城県に住むことになり、これまでの仕事は退職しました。
同居を始めて二年間はマンションに住みました。ですが、
- 二人暮らしのリズムが掴めてきた
- 自然を感じる生活がしたい
- 二人でつくる仕事の拠点が欲しい
これらが合わさって、庭付き古民家を探し始めます。
このタイミングで不動産の国家資格、宅地建物取引士(宅建士)の資格を取得します。
心配性さんに向けにて発信したい
ここまでの人生を振り返って、今後大切にしたいことが二つあります。

- 自然環境に配慮した暮らしを実践したい(時間に余裕を持ちのんびり暮らしたい)
- 面倒な人間関係から解放されて自由に稼ぎたい
古民家に住み始めたのは、二つを実践するための場所が欲しかったからです。
さきは超心配性のA型です。古民家を買うときにはたくさんネットサーフィンしました。色々な方にアドバイスも求めました。だって一生で一番大きな買い物なわけで、失敗は許されないと思ったからです。
どうやって物件を選んだらいいのか?住み始めたあとのイメージは?事前に知っておいた方がいいことは?古民家暮らしって実態はどうなの??分からないことがたくさんでした。
でも知りたい情報って意外と少なくて、「もう自分たちが実験するしかないじゃん!」と思いました。
そんなわけで、将来古民家暮らしをしてみたい、と考えている人たちへ向けてこのブログ「古民家移住の教科書」を立ち上げるに至りました。
心配性な自分が実際モーレツに心配したこと、不安に思ったこと、知りたかったことはもちろん、古民家生活をしていくなかで気が付いたTIPSはその都度ご紹介していきます。
特にお金まわり、物件まわりの不安や疑問は、FPや宅建士の視点も交えてご紹介できればいいなと思っています。
ではまた。記事でお会いしましょう!
菊地早秋(さき)