プロフィール

あき・プロフィール

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簡単なプロフィール

こんにちは。宅建士でFPの妻と暮らす、夫の菊地章雄(きくちあきお)です。

菊地章雄

環境問題を扱う国立の研究所で、WEBコンテンツを作成することを平日の仕事としています。週末はNPOで子どもたちの環境学習をサポートしたり、カヌーで川を下ったりの生活です。

かつては、新規就農・法人化。マルシェ出店の経験もあります。会社の作り方、助成金の申請方法から野菜の作り方、売り方について詳しいです。

最近はよく、住宅の購入や、夫婦のライフプランについて、“専門家”の妻に変化球みたいな質問をして困らせています。

平成元年8月15日生まれ、茨城県石岡市の出身。

小さなころから、田畑や里山を走り回る暮らしをしていて、幼少期におじいちゃんの隣で見ていた暮らしの知恵を、見様見真似に手探りで実践し、得た知識や経験を広く伝えられたらと思っています。

おじいちゃんの背中に隠れて見ていたこと

バブル崩壊前夜、平成が始まった頃、僕は生まれます。

2年後、妹が生まれ、さらに、妹と弟が生まれて4人兄弟。

妹(長女)が生まれたころ、2歳の僕は甘えん坊で、妹の面倒で精いっぱいだった母は、僕を一緒に暮らすおじいちゃんに預けました。(おじいちゃんはその時60代前半、畑仕事を現役バリバリにやっていました。)

畑はもちろん、散髪や歯医者にも付いていき、おじいちゃん子として育ちます。

出荷する作物としては、栗や柿。当時はまだ養豚もやっていたおじいちゃん。豚を怖がる僕はおじいちゃんの背中にぴったりくっついていて、邪魔だったと思います。

また、栗畑の近くには空港があり、僕が飛行機の音で泣きわめくため、これについては、仕事にならなかったと大きくなってから何度も聞かされました。畑の虫を捕まえたり、仕事を手伝ったり、邪魔したりしながら大きくなります。

果樹の剪定の仕方、枝を効率よく集める方法、剪定した枝の燃やし方、

鍬の使い方、種の蒔き方、ロープの結び方、

たくさんのことを学び、体験しました。ただ、今では知識として脳の隅っこに残っているだけです。

みんなが同じ方向を見ている違和感を覚える前

“良い大学に行って、良い企業に就職して、結婚する” それが幸せだという価値観を植え付けられて大きくなりました。

畑の生き物を捕って遊んだ経験から、「環境」や「科学」に興味を持つようになり、

中学卒業後には、「こーせん(高等専門学校)」に入学し、16歳から20歳まで5年間は「化学」を学びました。

みんな当たり前のように勉強して、当たり前のように大学に編入していているのを見て、当時僕は、大学に編入し、いつか、東京で働き、アパートに暮らし、さらには結婚し、将来、郊外に念願の一戸建てを購入、そうやって人生を終えるのだと考えていました。

2010年、当たり前のように、新潟にある大学に編入します。(高専⇒大学)

編入すると大学3年生。2年間で卒業になります。ただ、近年は専門性を高める教育が主流になっているようで、僕の大学では96%が大学院へ進学していました。

みんなと同じように大学院に行くのか、すこしずつ違和感を覚えるようになって、

みんなが同じ方向を向いて歩いているのを見ていて、少し気持ち悪くなります。

僕は思い切って、流れに逆らって、違う方向に歩いてみることにしました。

就職。初めて選んだマイノリティーの道です。

就職するか、どうしようか

学部卒で就職する人が少ない理系大学で、就職をしてみると学校のサポートはほとんどありませんでした。

誰にも相談できないまま、目の前にある合説やら会社説明会に闇雲に参加する日々。

みんなと同じことをしていれば、何とか内定をもらえるだろうという甘い考えでいました。

そんな甘さで苦労し、芯がない就活をするも、どうにか2社の内定をもらい、就活は終えることに成功します。設計関係のコンサル会社とメーカーのどちらに就職するか悩んでいました。

ただ、就職するのも、だんだん気持ち悪くなって、やはり、みんなと同じ方向を歩くことを断念します。

大学生がすごいたくさん集まって、合説(合同説明会)に行き、会社の説明を聞き、さらに会社の説明会に行って・・・何も考えずに同じ方向を向いて歩いているように思えたからでした。

2011年3月11日、東日本大震災も影響しています。生きるってなんだろう、そんなことを考えるようなきっかけでした。

選んだ「農業」への道

震災後、改めて自身のことを考え始めます。

大学進学の理由は、畑の生き物が好きだったところからスタートしていることを思い出します。

原点は「農業」にあったのかもしれない。そんなことを改めて考えます。

たまたま友達に誘われた震災ボランティアで、大学の外側のたくさんの人と会ったのも後押しし、就農することを決意しました。

  • 2011年8月 サラダボウル(山梨県)でのインターン
  • 2011年12月 大根農家(栃木県)でのアルバイト
  • 2012年3月~2013年2月 オーガニックファーム暮らしの実験室(茨城県)での研修生生活

などを経て、株式会社青春畑きくち農園の設立に至ります。23歳の時のことです。

新しい農業のカタチを考え模索し、

近代的な大規模農業と、付加価値をつける小さい農業について、農業経営雑誌や書籍で学ぶ晴耕雨読の日々。

その結果、農家の知恵みたいなものをお金にする方法を考えるようになりました。。。おじいちゃんの知恵を学び、仕事にすることを目指すことに。

すみだ青空市ヤッチャバに出店、マルシェ型農業経営の模索

就農と同時に、友達にヤッチャバ(マルシェ)に出店しないかと誘われました。

マルシェ出店の様子

とにかくなんでもやってみる精神で、ヤッチャバに出店するようになります。毎週土曜日は、片道2時間車を走らせて、東京都墨田区へ。

自分で作った不格好な野菜と、近所のおじちゃん・おばちゃんが作った野菜を車に積んで、販売しました。地域の農業の将来を背負って、東京へ行く。おじいちゃん・おばあちゃんの暮らしの知恵をお金に換える。そんな意気込みをもっていました。

栗を1日100キロ売るなど、マルシェ型農業経営が成り立つことが分かったことが、個人的には嬉しい成果でした。小さくて強い農業は可能であると自信になりました。

そのマルシェ型農業のスタイルは、日本農業新聞や東洋経済で紹介されるなど、ある程度成功したと思っています。

そんな生活は4年続きました。

副業(複業)の楽しさを茨城大学の勤務で知る

2016年、就農・起業、地域活動の経験を活かす複業を考え、茨城大学の産学連携コーディネーターに応募。

2016年度に週2日、2018年度には週4日勤務することになります。

大学が地域の拠点となるための文部科学省の事業(COC事業)として、茨城大学の1年生1600人が必修で受講する「茨城学」の担当コーディネーターとして働きました。

また、2017年度はつくば市の研究所(産業技術総合研究所)で週3日の複業をしており、途中、笠間公民館で週2日仕事のオファーがあって、仕事を多数抱え忙しくなったこともあります。

この時期で、複数の仕事を行う楽しさに気づきます。

新しい結婚のカタチの模索

茨城大学に勤務するようになってから、結婚を考えるようになり、2017年9月に結婚しました。

結婚式についても、就職と同じで違和感があって、自分たちで一から作っていきました。結婚披露展という旅と写真展の結婚式です。詳しくは、こちらのサイトをご覧ください。

自分たちの生き方は自分たちで考えたい。政治や経済、起業戦略なんかに踊らされるのは嫌だって思っています。就職も、結婚式も、そんな捻くれた性格が生んだ産物なのかもしれません。

結婚の時、僕は半年仕事をしていませんでした。本気で結婚のことを考える期間でした。

妻も仕事を辞めました。

僕らは結婚をやり遂げ、再び就職します。この時、僕が就職したのが先ほど書いた産総研+笠間公民館の複業。妻は、職業訓練でFP2級の勉強をし、合格。さらに1年後には、宅建士の学校に4か月通い、資格取得しました。

結婚を機に二人とも仕事を辞めていますが、こんな時に資格取得をするのっていいなって思いました。

マンション⇒古民家暮らし

結婚後、暮らしたのは駅前マンション。

地方の小さな商店街の中にある12階建てマンションの10階です。周りには高い建物がないので、少し目立つ高い建物でした。

農業をしていた僕にとって、なんだか地に足付かない落ち着かないところもありましたが、筑波山と太陽がきれいな住居でした。

2018年10月、初めて物件見学に行きます。霞ヶ浦のそばにある古民家という要望に合っていたけど、物件は販売されず壊されることになりました。断念するしかありません。

結局、3軒目の不動産屋さん、物件としては5軒目で、購入を決定。

はじめての古民家購入、はじめての住宅ローンを経て、家主となりました。偶然にも、引っ越しが、マンションの契約にギリギリ間に合うタイミングとなりました。

バタバタの引っ越しを終えて、

今では古民家の田舎ライフを、おじいちゃんの背中に隠れて見ていた暮らしの知恵を、思い出しながら試行錯誤で実践しています。30歳から地方に古民家を買い田舎暮らしをする実体験と、1時間かけて研究所(現職:国立環境研究所)に通う働き方について、ブログを通して伝えていければと思っています。

菊地章雄(あき)

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