タイトルの通りなのですが、最近の大きな気付きを書いてみます。黒々とした内容となっていますが(笑)、ご興味ある方はどうぞお立ち寄りください。
突然やってきた驚愕の気付き
わたしには長年悩んでいることがあります。
それは、「諦めやすいこと」です。
とはいえ自分が情熱を注ぎたいと思うものには丁寧に愛を注ぐタイプなので、どちらかと言うと、自分なりの物差しに最初からハマらないor後日ハマらなくなった場合に「……別にいいや、グッバイ」と考えてしまう類の諦めやすさです。
人様にさらけ出せる内容ではないので、本当は隠しておきたいのですが、話しを分かりやすくするためにいくつか例を挙げてみます。
例えば、夫婦喧嘩をして真剣に離婚を検討してしまうことはわりと頻繁にあります。SNSについても合わないなーと思う人がいたらさっさとフォロー外しをしてしまいがちです。仕事についても退職したいと思うことはザラです。
一見さっぱりしているとか、諦めがいいとか思われそうですが、実はこんなふうに「諦めやすいこと」を情けなく感じている自分がいるのです。
なぜなら時々、「自分はとても寂しい人間だ」と感じる瞬間があるからです。
でもやめられない。
やめられないのはなんでだろう?と考えていた時に、ふと「これは資本主義に染まって生きてきた影響なのではないか」と閃いてしまったのです……!
資本主義に染まった思考回路
そもそも資本主義とは、
一切のモノやコトを商品化していく「市場システム」のことを言いますよね。主体はあくまで企業であって、資本家たちが労働者たちから労働力を買い、それを上回る価値のある商品を生産し続け、利潤を得る仕組みです。
つまり資本主義のなかで生きていると、モノやサービスがどんどん溢れかえっていくんです。
するとどうなるか?
モノやサービスが溢れていると、一つのモノやサービスを大切にしなくなります。一つがハズレだったら次のアタリを見つければいいや、と考えるのは当然のことです。まるで使い捨てカイロですね。
まさにこれ(↑)が「資本主義に染まった思考回路」だと個人的には思うのです。
つまり、わたしの諦めやすさは、「また次があるからいいや」という使い捨て思考に基づいていたのです。
- 彼氏と別れても次の人を見つければいいや
- 今の仕事を辞めても次の仕事を見つければいいや
など、次から次から代替案が見つかるだろうと「諦め癖」が付いてしまったんです、きっと。
これに気が付いたときは非常にショックでした。
諦めやすい、辞めやすい人達
ひょっとすると、わたしと同じような人達は大勢いるのではないでしょうか。
それは、日頃から目にするニュースや数字が物語っているように思います。
離婚率の上昇、転職回数の増加、離職率の若年化、などなど自分たちの親世代とは全く違った世界になっているなということは分かります。
少し自分の周囲の話をしてみます。
大学卒業後、わたしが新卒入社した会社の同期は当初20名強いましたが、3年以内に半分以下に減りました。
キャリアアップしたいから、もっと良い給料のところに行きたいから、留学するからなど、会社を辞めた理由は様々でしたが、少なくとも「その会社だけにこだわる必要がない」という点は共通していました。
わたしも漏れなく転職しました。
” また次の選択肢があるからここはもういいや “
当時はなんとも思っていませんでしたが、実は飽和状態の世の中だからこそ生まれた考え方なんだなあ……と改めて感じています。
生まれ育った環境は関係するのか
今これを書いているわたしは、「自分は資本主義の呪いにかかっている」と思っているわけですが、生い立ちや過去はいたって普通です。
首都圏のごくごく普通のサラリーマン家庭に生まれ、地域の小学校、中学校へ行き、高校へ進学し、都内の四年制大学に通い、就職しました。とても普通に歩いてきました。
とびきり裕福ではありませんでしたが、経済的に困ることなく生活させてもらいました。親には感謝しています。
ここで夫の話をしてみます。
夫はなぜか資本主義に染まっていないのです。染まっていないどころか、競争心がなく平和ボケしているようにさえ思えます。
夫は、周囲の人と少し違った価値観を有しているように思います。夫とはいえ、まだまだ謎に包まれた部分が多いので、引き続き観察を続けてみたいと思います。
ただ、わたしのように諦めやすかったり、使い捨て思考が感じられないのは確かです。事実、こんなわたしのことも粘り強く愛してくれています(これは一例です)。
田舎で呪いは解けるのか
- 諦めやすい(すぐに代替案を考え出す)ことはダメなことなのか?
- 資本主義に染まることは悪いことなのか?
決してそうではないと思います。
あくまでわたし個人がスターバックスのトイレでふと気が付いてしまっただけに書き留めておきたいだけなのです。
ただ、長年悩み続けてきた「なぜ自分は諦めやすいんだろう」の答えはここにあるんじゃないかと思います。
だからわたしは、しばらく田舎で資本主義の呪いを解きます(呪いというのは分かりやすく表現しているだけですよ)。
田舎は都会と比較してモノもサービスも圧倒的に少ないですから、解毒の環境としては最適かなと思います。もう二年が経ちました。まだまだ解毒時間は必要です。
でも、すぐに「代替案があるだろう」「別にいいや諦めよ」と考えてしまう使い捨て思考からはそろそろ脱却したいと思っているのです。
粘り強くて、なんでも単純に面白がれる、ニコニコ温度のある人っていますよね。そんなふうに年を取っていきたいです。