コラム

内田樹著『修業論』から考える結婚

修業とはなにか?

内田樹著『修業論』をレビューします。著者・内田さんは、合気道の道を歩み続けて数十年の経歴を持ち、自ら名付けた道場を持つ程です。

本のなかで内田さんの修業に対する考え方が色々と示されており、わたしたち夫婦で「結婚も修業になるのでは?」と話が深まったので、ご紹介してみます。

修業に得も損もない

内田さんによると、修業とは「結果の予測が出来ないもの」だそうです。

わたしたちは普段何かを選ぶ時、それは得なのか損なのか、どういう意味があるのか、を問います。利益にならないと判断したら、選択肢から外します。

とりわけ消費社会に染まっている若年層はこの傾向が強く、「修業しなさい」と誰かに言われたとしたら、必ず言うんだそうです。

「修業?それ、なにか意味あるの?」って。

内田さんは、最初は意味が分かっていないもの、それが修業だと言っています。

修業した人しか理解できない感覚がある

修業には始める時からの理由はありません。内田さんによると、修業を達成したときにしか分からない感覚があると言います。

例えば合気道の技を極めようと修業していくうちに、習得しようと思った技以外の身体的メリットが生まれることがあるそうです。言葉にはできない、予想外の体の使い方があったりするんだそうです。

修業を始める前には予測もしていなかったことが、修業を通じて出来るようになった、分かるようになった。これこそが修業の意味なのだとか。

日々の修業が未来の答えを作り出す

多くの人は口癖のように言います。「それ、なんか意味あるの?」って。

例えばこの修業論を結婚に当てはめてみると、結婚した時点では「なぜ結婚したか」「これからどういうことが起きるのか」分からないものなんだと思います。

分からないからこそ、素晴らしいパートナーと出会ったことに感謝し、コミュニケーションをとり、日々を歩んでいくだけです。こんなありふれた日常こそが修業なのではないかと。

結婚という「生涯の修業」を経て何が分かるのか、まだわかりません。まだまだ道は始まったばかりだからです。

内田さんは言います。修業とは回顧的なものであると。レビューして、振り返ってみてわかるものなんだそうです。今この段階では答えがない。

修業を達成できるのは自分自身。わたしたちは各々が修業中なのだということに気が付きました。だから、それぞれ修業を達成した先に見えるものは異なります。

結婚という修業はひとりでは出来ません。夫婦になった二人が二人三脚しながら修業という時間を共有します。

なにが見えるのか。どんな答えが出せたのか。それは、夫婦になった多くの人たちが二人で修業を終えたとき初めて語ることのできる、人生のレビューなのかもしれません。

先はまだまだ長くて、修業は始まったばかりです。

さき
さき
新婦さきです。

1990年9月生まれ。神奈川県出身。このサイトを運営してる人。

人生選択の積み重ねを振り返ったことを機に、より家族愛を大事にした生き方をしたいと思うようになる。

たくさんの人たちに、目の前にいる人や目の前に転がっている現在を愛して欲しいと思っている。

こちらもオススメ